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中島池
2012/02/26(Sun)
  午前中は晴間もありましたが、午後は曇って雪が舞いました(-2.9~4.1℃//0.20μSv/h八幡1屋外土面上高さ1m・0.11μSv/h屋内21:00、西北西風)。
  五色沼の上に、中島池の跡がありました。何時もはただの荒地ですが、雪景色になると、嘗ての幽玄な世界が蘇った様で、思わず足が止まりました。話や文献によると、ここには戦前、手付かずの大自然の中に、それはそれは神秘な雰囲気を醸し出す、大きな池があったのだそうです。それが戦後の米軍占領により、周辺林が伐採、斜面が掘削されて、その残土で池は埋め立てられてしまいました。やがてゴルフ練習場に変わった後、占領終了後は放置され続けて来たのです。仙台市の計画では、この「中島池を復元」するのだそうですが、具体的な話は何も聞えてきません。復元は大賛成ですが、今ある自然を決して壊さず、昔の、大自然のままの再現にして貰いたいものです・・・
中島池の跡 青葉城址からの眺め
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磨崖仏
2010/03/10(Wed)
  きょうは久し振りの大雪で30cm程積り(気象台発表では24cm)、日中は雪や霙が降ったり止んだりでした(-1.7~2.2℃)。
  三居沢の直上の、磨崖仏が雪を被っていました。重い雪を乗せ、風雪に叩かれながら厳かに座る姿は、単なる石仏と言うより、厳寒の日々も生きながら修行を続ける、苦行僧の様に見えました。何時、誰が造ったのかは分りませんが、人の身長程の大岩を削り刳り抜くのは、とても大変だったと思われます。以前に比べて大分摩耗していて、顔貌は殆ど消えてしまっていますが、これからもこの森を、何時までも見守り続ける事でしょう。場所は、三居沢発電所(日本最初の水力発電所)の真上の送電線鉄塔の傍です。作者について、作られた経緯について、ご存知の方があれば教えて貰いたいものです・・・
磨崖仏 大雪の北斜面
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山神
2010/01/21(Thu)
  きょうも、ほぼ晴れて異常に生暖かい一日でしたが、午後は強風が吹き荒れました(1.1~14.5℃)。
  亜炭鉱の坑道口の直上に、山神の石碑がありました。藪に埋もれる様に立っているので気付きませんでしたが、傍らには山の神と思われる塑像も佇んでいて、今も誰かが世話をしている風でもありました。碑文を読むと、「昭和18年・・東拓炭鑛株式会社」とあり、嘗て青葉山で亜炭等を採掘していたらしい鉱山会社が、正に戦時中に建立したものの様でした。塑像は、誰が何時置いたものかは分りませんが、鉱山等で祀られる金山彦や金山姫ではなく、右肩に斧を抱えた一般的な山神像?の様でした。と言っても推測の域を出ず、どんな意味を持つ碑と像なのか、何方かご存知の方があれば、是非教えて頂きたいものです。尚、「東拓炭鉱」をネットで調べると、「強制連行朝鮮人名簿一覧」の頁に、30(人)の数字と共にその名が記されていました。因みに、名簿掲載者には、宮城県で3377人が記載されていました(連行の全体数は未だに把握できていない様ですが、100万~160万人とも言われています)。青葉山には、自然破壊とは又別の、暗い歴史があったのですね・・・
山神の碑と塑像 
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